カラマツストーブの歴史

 1960年代に始まった諏訪地方の大規模リゾート開発の波は、一切の批判を押しつぶす勢いで進行し、1980年代には5500ヘクタール(この中には県営ダム2箇所も含まれる)の別荘を中心とした日本最大のリゾート地が出現しました。

この大開発が収まった後、第二次の開発の波が押し寄せてきたとき、「もうこれ以上の開発はいらない」という市民の声に押されて環境会織・諏訪が誕生しました。以後15年間に渡って、二つのダム計画を含むリゾート開発反対運動が繰り広げられ、この間の開発計画をほぼすべて中止に追い込むことができ、これによって諏訪地方の大規模開発の動きは終駕しました。

 

以後環境保全運動の課題は、開発反対から、壊された自然環境の復元、循環型地域づくりへと転換していくことになりました。その具体的な課題は、脱石油によるC02削減と森林再生、長野県ではカラマツ人工林の間伐とその木材の有効利用でした。

 

信州のカラマツ林は、全国のスギ、ヒノキ人工林も閉じですが、植えられたまま間伐もされず放置され、ようやく間伐が行われるようになっても国内木材の価格低迷などによって利用されず、切捨て放置されているのが現状、その頃出会ったストーブ(後カラマツストーブと命名)の革命的な性能に着目し、これを普及することで、今まで薪としては利用できなかったカラマツなど針葉樹が薪として有用となる事から、針葉樹間伐材が有効利用され、森林整備が進むのではないかとの思いから自然保護運動家を中心に八人の出資で有限責任事業組合を結成し、普及運動をはじめることになったわけです。